紹介

甲緑子たから歌舞伎 

甲緑子たから歌舞伎」は1998年、神戸の伝統芸能である農村歌舞伎を復興・継承しようと、三代目市川箱登羅先生を指導者に迎え、神戸市青少年育成協議会 加藤氏が神戸市立甲緑小学校の児童に声掛けして結成されました。
その後近隣の小学校からの参加もあり、最盛期には20人を超える児童で活動しました。
レパートリーも師匠の創作歌舞伎「子宝童謡夢物語(こはたからわらべうたゆめのかけはし)」をはじめ、「寿曽我対面」「車引き」「裏門」「新口村」「野崎村」「吉野山」「勧進帳」「松の廊下」「寿式三番叟」など毎年新しい演目に挑戦しました。
春の農村歌舞伎上演会、秋の顕宗仁賢神社の宵宮奉納歌舞伎、3月の葺合卒業公演を中心に、老人ホームの慰問活動など幅広く活動しました。
当初からご指導いただいていた市川箱登羅先生が2010年2月に死去され、それに伴って新規メンバーの募集を停止し、2011年3月に活動を終了しました。


箱登羅たから歌舞伎 

2010年に市川箱登羅先生が亡くなり、甲緑子たから歌舞伎の新規メンバー募集停止が決まったとき、箱登羅先生が10年かけて再興させてきた神戸の農村歌舞伎が、そして子ども歌舞伎の活動が途絶えてしまうことを危惧して、甲緑子たから歌舞伎の卒業生や保護者らが声をあげ、加藤氏の尽力で「箱登羅たから歌舞伎」を結成しました。
当初は指導者不在のため、子たから時代のビデオや各自の記憶を頼りにお稽古し、自分たちで衣装や道具をそろえて化粧をし、たくさんの人たちに支えられながら、手探りで活動をつなぎました。
2012年に日本舞踊秋房流家元 秋房愚楽先生をお迎えし、歌舞伎の技術向上と、新たに日本舞踊のお稽古に励みました。
2014年12月にその活動を終了し、六甲丹生かぶきとして再スタートを切ることとなりました。


三代目市川箱登羅師匠 

  1956年日本大学芸術学部卒業と同時に、
       上方歌舞伎にて学士俳優「大谷山三郎」としてデビュー。
  1973年二代目中村鴈治郎に弟子入りし、「三代目中村芦鴈」に改名。
  1977年「三代目市川箱登羅」を襲名。1988年引退後、各地で素人歌舞伎の指導にあたる。
  2010年2月11日永眠。

  甲緑子たから歌舞伎では演技指導だけでなく、あらゆることを自らこなすスーパー師匠でした。
  公演の化粧をすべて先生が仕上げてくださったことは言うに及ばず、
  衣装や小道具もほとんどが先生の手作りで、これらは今も大切に使っています。
  箱登羅先生書き下ろしの演目は、子たから歌舞伎で最も多く演じられています。

  子どもが大好きで、何より歌舞伎を楽しむことを教えていただきました。

←ホーム